▲安積疏水全図(提供:安積疏水土地改良区)
今から約120年前、政府によって福島県にある安積原野の開拓が計画されました。オランダ人技師ファン=ドールンらを現地に派遣して、猪苗代湖からの導水による開墾計画を決定しました。この湖の水は西へ流れていたので、湖の水位を変えないよう西側の川の水門建設工事から始まりました。
郡山の町は当時人口7,000人。工事で働いた人は約85万人。幹線水路は52km。支線水路を合わせると366kmになるという大工事でした。 これにより、この地の米の収穫量は3倍以上に増加し、現在でも全国2位(自治体単位)という一大農業地帯に生まれ変わりました。さらに、数年後には水力発電所が建設され、郡山の工業発展に絶大な効果をもたらしました。つまり、この水路一本により、郡山は人口約30万人(現在)の大都市へと発展していったのです。十和田市をはじめ、日本にはこうした水路の建設によって大きな発展を遂げた都市がいくつかあります。