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水路は、よく人間の体の血管に例えられます。

心臓から流れ出た血液は大動脈を通って、頭、手足といった部位[ぶい]へ供給され、それぞれの部位から無数の枝分かれを繰り返して全身の毛細管へと運ばれます。私たちの生命はこの健全な血流をとおして維持されています。手や足に血が通わなくなれば、皮膚は冷たくなり、やがて壊死[えし]します。脳の血管がつまれば、命すら危うくなります。

灌漑[かんがい]用水のシステムも体の構造ととてもよく似ています。堰[せき](十郷大堰)は心臓部、幹線水路(十郷用水や芝原用水)は動脈、各地で分水を繰り返して、村に入り、それぞれの田へ毛細管のように配水されます。

つまり、生きた土地とは、水の通う土地、あるいは健全な水循環のある土地という言い方が可能です。

これは、農村や都市を問わず、どこも同じです。水路が整備され、土地が生きたものになって初めて道路や橋が必要になるのです。

「水に流す」「水くさい」「水を向ける」「水をさす」「水いらず」・・・、日本語には水に関する言い回しが多く、外国語に訳せない言葉もたくさんあります。

これは、日本人がいかに水と親しみ、崇[あが]め、また怖[おそ]れて暮らしてきたかを物語っています。民俗学者柳田国男は、川を「天然の最も日本的なるもの」とし、水を巡[めぐ]る社会の緻密[ちみつ]さは世界に類がないと称[たた]えています。

特に、水田は、日本人の主食である米を作るほか、ダムに劣らない洪水調整機能、地下水の涵養[かんよう]、水生動物の生息[せいそく]、土壌の殺菌、脱窒[だっちつ]効果、あるいはヒートアイランド現象の防止など様々な機能を持っています。降れば洪水、照れば渇水という急峻[きゅうしゅん]な国土に加え、アジア・モンスーンという暴れ馬のような気候を持つこの国では、水田や水路を基礎とした地域を造ることが最も合理的な方法だったのではないでしょうか。

「用水の一滴は血の一滴」。文字どおり流血すら伴なったこの平野の水争いは、そうした緻密[ちみつ]な社会秩序を形成していくために避けては通れない道だったのかも知れません。しかし、長い道のりでした。水路が歴史に登場し始めて、およそ千年を費[つい]やしています。

およそ千年を費やして創り上げたこの平野最大の資産。

次頁をご覧ください。

九頭竜川の水を、自然の位置エネルギーだけを頼りに引き込み、平野をくまなく潤す壮大な水路網。すべてが幾万という農民による手造りの資産なのです。


01

ゆったりと大陸を流れる諸外国の主な河川に比べると、日本の川は3,000m級の山脈から、ほとんど一気に流れ出る(図1)。明治の初期、日本に招かれたオランダ人技師ファン・ドールンは、「これは川ではない、滝だ」と、河川工事の難しさを嘆いたという。越前、越中はとりわけ平野が浅く、背後に急峻な山々がそびえている。九頭竜川の名も「崩れ川」がなまったものらしい。


02

加えて、日本の気候はアジア・モンスーン型。極端な集中豪雨があるかと思えば、2ヵ月も雨の降らない日が続いたりする。豪雨ともなれば、山に降った雨は滝のごとく谷間を流れ、平野を襲う。そして、日照りが続けば、たちまちのうちに川は枯れる。図2は日本の川の特徴をよく表している。最大流量(洪水時)と最小流量(渇水時)の差があまりにも激しい。

しかし、水路や水田は、水の流れを分散、貯留する。農民は川と闘いながらも、少しでも保水能力を高めるよう山に木を植え続けてきた。ファン・ドールンすら嘆いたこの過酷な条件下で、今日にいたる豊かな国土を維持してこれたのは、幾万という名もなき農民達の過酷な闘いであったことを忘れるべきではなかろう。


03



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