02:「ほる」

紙谷用水
▲写真左側が紙谷用水取水口(提供:加賀農林総合事務所)

辰巳用水は藩主が命じた事業ですが、農民が勝手に水路を引いたりすることは不可能でした。同じ石川県の山中温泉郷では1859年、庄屋・鹿野源太郎と世話役・西野庄与門の二人が、紙屋谷の里へ用水を引き、10haの水田を造る計画を立てました。許可が下りたのは6年後。しかし、深い峡谷と岩山の中での工事はたいへん困難なものとなりました。
工事費用はすべて彼らが負担し、二人は険しい山に入り、トンネル掘りの測量や工事を行いました。彼らの努力にもかかわらず、進まぬ工事に対して、近隣の村や下流の農民から工事反対の意思表示がなされ、工事への妨害は日がたつにつれて激しさを増していきました。彼らの家の柱は鍬や鎌で傷がつけられ、最後には、焼討ちにあってしまいます。わずか10haの水田、14kmのトンネル水路という小規模なものですが、このように新しく水路を造るのは命がけの仕事でした。


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