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6月の新潟は、飛行機で訪れるのがいい。着陸直前の数分間、私たちは、ほとんど圧倒されるほどの風景を目にすることができる。

眼下には、海かと見まがうほどに広がる水田平野。田は正確な長方形に区切られて、満々と水が湛えられている。まるで大地一面に幾千枚という巨大な鏡を敷きつめたかのように、それぞれが青空や白い雲を映してキラキラと陽光に輝き、一瞬だが、空と陸の境のない異次元空間に突入するかのような錯覚を覚える。とりわけ、夕暮れ時がいい。夕焼けともなれば、空も海も陸も葡萄色に染め上がり、息を呑むような光景が展開される。


晩夏の新潟も捨てがたい。まだ青い稲穂が照りつける太陽の熱量を浴びながら、時おり吹いてくる秋めいた風に、さわさわと大波小波を打つ。その様もまた大海原に近い

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「偽りもなき」という表現に、現代文明への鋭い批判を感じる人もいよう。あるいは、農業は命を育てる仕事、親が子を育てるような「偽りのない」愛を、この俳人は一面の水田風景に鋭く感じ取ったのかもしれない。

いずれにせよ、この句は晩夏の新潟平野によく似合う。


これほど広大で水平な大地は、おそらく世界でも数少ないのではなかろうか。

言うまでもなく、この水平さは自然が造ったものではない。腰まで雪解け水に浸かりながら稲を植え、わずかな土を舟で田に運び、一年中、水と土にまみれて働き、なおかつ数年ごとに起こった洪水により、家も農地も家畜も蓄えも、時には抱いて寝た赤子さえ失いながら、また一から泥の田に向かって挑み始めるという数百年続いた過酷な農の営み。

その厳しい生の哲理を一枚一枚積み重ねてできた世界のどこよりも平らな大地。


かつての亀田郷では、わずか1メートルの高低差が極端なほどに農の暮らしの明暗を分けてきた。言い換えれば、その高低差が社会の営みの不平等を形成してきたことになる。

明治以降、近代社会がいくら法による人間の平等を保障しても、現実的にこの不平等はいささかも改善されなかった。

たかだか数メートルの丘を「山」と崇め、泥にまみれて生きてきた幾万という農民。彼らの見果てぬ夢は、一寸の高低差もない海のように平らな農地ではなかっただろうか。

あるいは、「泣く子も黙る亀耕(亀田郷耕地整理組合)」と勇名を馳せた農民の激しい闘いは、土地改良によって実質的な不平等を解消する、つまり真の意味での社会改革を目指したものであったのかもしれない。

新潟平野の見渡す限りの水平さは、比喩ではなく農地の公平さ、あるいは人間の暮らしの水平さを目指した結果であるとも言えよう。


かつて日本最大であった佐渡金山。金山も石油や天然ガスも天与の資源である。価値こそ高いがやがて枯渇する。佐渡金山はすでになく、石油の自給も1パーセントに満たない。ガス採掘が地盤沈下を招いたことも述べた。

しかし、農地は天から与えられたものではない。人々が創造してきたものである。亀田郷の農民は、牡丹餅ひとつと交換したほどの悪田を、日本一の美田へと変えてきた。

しかも、農地は永遠の資源である。枯渇どころか土地改良によって米の生産量は飛躍的に増大した。

皮肉なことに、あの毎年のように荒れ狂った悪夢のような大河の氾濫こそが、山の滋養をたっぷり含んだ土砂を平地に運び、この地の土を肥沃なものにしてくれた。

自然と人間の拮抗が長い歳月をかけて創りあげたこの平野最大の資産。ここで作られる米は、紛れもなく日本最高の産物のひとつに数えられるであろう。


繰り返したい。「農」とは作物を作るだけの行為ではない。それはまさしく国土づくりであり、地域づくりであり、人間の暮らしのためにあらゆる課題と闘うこと。そして、人類永遠の資源を造ることではなかろうか。


水張月の亀田郷 ―― 満々と水が湛えられた広大な水田風景はことのほか美しい。同時に、昔、この地が海であったことを思い出させてくれる。

故にまた、それほど確かな大地でもない。もしも、親松排水機場のポンプが停止すれば、JR新潟駅や周辺繁華街を含む広大な地域が水に浸かってしまう。今もなお、この大地は「農」によって守られているのである。


近年、地球環境問題、食糧危機、水・石油・鉱物資源などの枯渇が懸念されている。また、地盤沈下も治まっておらず、その対策事業は現在も継続している。

数百年にわたり農民が掌ですくうようにして創り上げてきた亀田郷。

「農」を育て続けることこそが、未来への礎となるのではなかろうか


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