地図をつくる

日本全国地図の作成

 伊能忠敬は、江戸中期、上総国山辺郡小関村(千葉県山武郡九十九里町)に生まれ、50歳を過ぎて江戸に出て、天文学・測量術を学んだ。
 忠敬は、伊豆からはじめ、最後に九州とその周辺に散在する島々まで測量し、17年をかけて文化13(1816)年、72歳のときに日本全国の測量を成しとげた。
 この測量をもとにして、日本全国地図の作成にとりかかったが、死後3年目の文政4(1821)年に高橋景保が完成し、幕府に献上した。

 この地図は、『大日本沿海輿地全図』または『伊能図』とよばれ、最初の正確な日本全国地図となった。『伊能図』は、大図(3万6000分の1)、中図(21万6000分の1)、小図(43万2000分の1)の3種がつくられた。


伊能忠敬(1745~1818年)像 (千葉県佐原市伊能忠敬記念館蔵)



大日本沿海輿地全図(部分)
文政4(1821)年に完成、『伊能図』ともよばれる。大図214葉、中図8葉、小図3葉であった。このほか、測量が一段落することに上呈されたものも数種類あった。(伊能忠敬記念館蔵)


小図の部分



精密な測量技術

 忠敬は、子午線の長さを確めるため、蝦夷地(北海道)までの実測を計画し、寛政12(1800)年から180日かけて、江戸から蝦夷地までを測量して歩いた。
 江戸と津軽半島の三厩の間の実測から得た子午線1度の長さを、28里2分(110.85km)としたがこれは現在の計算による111㎞とほぼ同じ数字であり、驚くほど精密な測量であったことがわかる。