国土づくりの歴史

人間の自然への働きかけの拡大・高度化

 国土とは、人々が住み、生産やレクリエーションに利用している土地である。土地そのものは自然の大きなサイクルの中で緩慢にしか変化せず、人間的スケールではほとんど動かないのと同じである。しかし、人々がいろいろな活動に利用し、働きかけていくことで土地は変貌をとげていく。国土は、自然であって単なる自然ではなく、そこに住みついた人々によって利用・加工・変形され、そうした労働の投下によってのみ維持される特殊な自然である。
 狩猟・採集社会にあっては、自然からその恵みを直接そのままの形で受け取っているため、人々の生産活動も多様な自然に合った多様な形態をとり、人々は自然のリズムに合わせて呼吸し、その中に埋没しているだけであった。農耕の開始とともに、土地は生の自然ではなくなった。生産ならびに保全をも含んだ人間労働の集中的かつ持続的な投下によってはじめて形成され持続される「加工された自然」となった。
 「加工された自然」としての国土は、「風土」が土地に刻まれた姿である。わが国の歴史においては、水田農耕が中心となっているため、水の獲得を通じて労働が不断に土地に蓄積されてきた。縦横に走る道路や水路、精巧な装置としての水田は、過去の労働蓄積の所産である。林野は農耕開始以前は食糧採集の場であったが、水田の肥料源としての意味を付与された。焼畑とその常畑(恒常的な畑)化により耕地に変わったところもあった。こうして、人々の居住点である集落と周囲の耕地、さらにはその外側の林野という異なる用途に使われる土地が、農業生産のために結びつけられる。それぞれの土地が、生産・再生産の過程に繰り込まれて緊密な関係を保った全体、すなわち一つの構造体をつくり出すのである。  今日までの長い歴史の中で、国土の形成とは、こうした構造をつくり出し拡大していくことであった。
 もちろん、都市や交通路のような流通ルートを通じて結びつけられることもある。特に近代以降においては、第2次産業化や第3次産業化に伴ってその傾向はますます強まり、従来とは異なった形態になった。人口や構築物は高密度化し、人工改造の度合いが高くなり、都市への集積はますます進んだ。土地そのものは人々の活動から分離され、単なる容器となった。
 こうした変化に伴い、隣接する土地であっても機能的に分離され、土地利用の混乱、すなわち異種用途に向けられる土地相互の関係の悪化が生じてきている。
 このような利用形態とは異なり、農林業においては装置化、利用の高度化を要求されるとはいえ、いぜんとして土地そのものを生産手段として用いるために、生産を維持することが国土を維持保全することに直結している。また、耕地や林野は、本来の生産活動を超えたところで、水資源の涵養、洪水の調節、自然環境の維持保全などに大きな役割を果たしている。そうした役割を通じて土地は結びつけられているのであり、目に見えないところで互いに結びついてはじめて、国土が全体として機能を正常に保っているのである。

土地利用は技術を要求し
技術は土地利用を可能にする

 国土形成の歴史を、以上のような人間の自然への働きかけの拡大・高度化の視点からながめてみると、次のような過程をたどる。まず人々がいて生業を営み、活動が土地に何らかの形となって投影される。人口が少ない間は土地利用も粗放なままにとどまり、人口が増加するにしたがって高度化せざるをえなくなる。それを可能としたものは、たとえば作物の変更、品種の改良といった適応の仕方でもあった。
 しかしながら、わが国においては、水を引くことを中心としたあるがままの土地の条件を改良していくような適応の仕方が優勢である。この自然改変の技術の進歩によって、土地利用の高度化が実現したのである。すなわち、土地利用の高度化が技術を要求し、技術が土地利用の高度化を可能にするという相互作用のもとに、現在の姿に至ったのである。
 技術の進歩に伴い、開発は、自然発生的で飛石的な形から、しだいに一定の領域をとらえて計画的・面的な形態をとるようになった。技術が低位の段階にあっては、自然への働きかけは単発的で、力のおよぶ範囲も限られている。技術が相当進んだ段階になれば、一定の広い範囲をみて適切な技術の組み合わせで根本的な改変が可能となるからである。
 地域的な開発とよべるような開発の形態が出現したのは、条里制の施行を先駆とする。その後、中世の荘園開発、現代にも通じるところのある新田開発と、一定の領域全体を対象とした開発が出現し、近代に至る。もちろん小規模で自然発生的な開発も常に絶ゆみなく続けられた。それらが積み重なって、現代の我々がみることのできる多様で有機的なつながりをもった国土が形成されたのである。
 ここで発展した技術は、いうまでもなく主産業である農業、それも作物や農具などに集積される技術とは別の、土地に関する総合的な技術である。すなわち、耕地の造成や整備、かんがい・排水といった広い意味での耕地開発のすべてを扱いうる独自の技術体系であった。現在では「農業土木」とよばれるこの技術は、農耕開始以降、近代に至るまで土地にかかわる技術のほぼすべてであった。
 この技術体系においては、歴史の長い水利システムをみればよくわかるように、長い年月にわたる試行錯誤と経験の繰り返しを経て、自然の人工化ではなく、自然へ順応し巧みに自然を利用することで、面的に開発を進めることが可能であった。国土の基軸をなす耕地とそれに付帯するもろもろの構造物を、すべてにわたって面的に形成すること、それは現在のビルディングや高速道路といった点や線の開発とは異なり、自然の多様さに応じた多様な対応を可能にしてきた。わが国の風土に大きな影響を与えている河川を制御する場合といえども、洪水を速やかに海に流す近代以降の方式が確立されるまでは、耕地の開発の中でいかに地域の状況に応じて河川を扱うか、というようにとらえられてきたのであった。
 こうした総合的な面的開発という特徴を生かして、国土はつくりあげられてきたのであった。