コラム 農村の指導者

 著しい生産力の高まりをみせた明治農法の担い手は「老農」とよばれる地域の指導者格の人々であった。林遠里、中村直三、船津伝次平ら著名な人たち以外に、各地に根を下ろしあるいは放浪する篤農家が多数存在し、工夫・改良を重ねて高い生産をあげた。
 彼らのルーツは、平安期の放浪僧、行基にみることができる。彼は、率いる渡来人系の技術者集団とともに、溜池を築造し、水路を掘り、新農法を広め、施薬や養老など人々の厚生に尽くした。
 近世になると、このような存在は特に目立ってくる。放浪の農学者、大蔵永常は、九州日田に生まれたが各地を転々としながら見聞を広め、畿内を中心とした集約的な商品作物生産についての書物を多数著した。
 二宮尊徳は地方(農村)改良の仕法で知られ、大原幽学もまた房州で耕地整理などを行った。安藤昌益は、奥州で医者をしながら、農が天下を支えるとする一大哲学を展開した。
 詩人の宮沢賢治は、農民地学者の顔をもっていた。自然の語らいに耳をすませながら、肥料の配合や土壌改良について農民に教えていたのである。
 わが国の農村では、農民たちは識字率も高く、好奇心にもあふれていたが、その中で光る星のような彼らの存在が果たした役割は興味深い。


行基(668~749年)


大原幽学(1797~1858年)



二宮尊徳(1787~1856年)


宮沢賢治(1896~1933年)